さくらじま先生準備試作会&絵カフェのお試し | 18:41 |
どうも。ナガモトです。本日は、アトリエで3月末からの展覧会「さくらじま先生、大噴火!!!」の準備試作会を行ってきました。
試作会というのはどういう事かというと、展覧会で大きなオブジェを飾る予定なので、そのミニチュアの試作会です。いろいろ問題は分かったので、次に活かして、何とか巧く創れるように頑張ってみます。いや、巧くと言っても、巧くというか何と言うか、とりあえずモノが出来れば、それで良しという感じのアレなんですが・・・なにせ、さくらじま先生なもので・・・・
という展覧会の説明はおいおいしていきたいと思います。試作品の写真は、事前には出しませんので、当日にご期待を!
時間が余ったので、試しに絵カフェ企画のモディリアニの説明をしてみましが、仲間内でやったので、結構、盛り上がった気はします。思ったよりは。
ていうか、モディリアニという設定が絶妙だったのか、はたまた自分の性格からか、意外と話してみたら神学論争になりそうなタネがガンガンある感じだったので、こういうのを絵描きが集ってやったら、結構、白熱しそうだなーと。
まあ、それはそれで良いと思うんですが、そうだとすると、結局、敷居は高くなりそうなので、もうちょっと題材を考えた方が良いのかもとか、そんな事も思いました。ていうか、こういう題材だと、あやふやな知識を発表する事がそもそも難しいなーという感じなので、色々また試す機会があれば、試せればと思います。当面、火曜日の15時からアトリエでやってると思うので、興味ある方は来てみて下さい。
ちなみに、今日話した内容としては、そもそものモディリアニの説明とか、ボヘミアンイメージとロックイメージによるアンダーグラウンドなカルチャーとしてのアートがどうだとか、「芸術家」の観念がどうだとか、構図とか、図像の簡略化のポイントがどうだとか、そもそもモディリアーニの絵が良いかどうか?とか、良く無いとしたら、評価ポイントはどこか?とか、人生の物語は作品に影響があるか?アートは人生こみか?アートじゃなきゃダメなのか?人生を作品にしちゃダメだけど、大まかに言うと作品にはなるだろう。別にモディリアニは意識してやってなくても、振り返ってみれば、それも評価すべき点だろう。しかし、別に評価は考えなくていいので制作の際のイメージの方が重要だ。みたいな感じです。
そんなわけで、個人的には、モディリアニの事は、かなりあやふやだったので、もうちょっと調べてみようとかは思いました。ていうか、絵をキチンと見たいなと思いました。
という意味で絵の話をするのに生の絵を見てないと結構難しい事は難しいとも思いました。
そんな感じです。意外とまだどっちに行くか分からないなーというのが率直な感想でした。でも、今日は面白かったです(自分は)。